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中学3年まで「ずっと控え」だった左腕が、メジャー舞台をつかんだ秘訣とは

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菊池雄星投手(現エンゼルス)は、中学3年生までずっと控え投手だったと語ります。それまでは下位で試合に出る機会も少なく、目立つ存在ではありませんでしたが、日々の努力と習慣の積み重ねが変化を生みました。母が給食費を支払えなかった経験が転機となり、「プロになって家を建てる」と決意し、1日約6時間の自主練習を続けるようになったのです。

努力の根底には「やり続ける力」があります。「才能や身体能力の不足は、習慣形成でカバーできる」と自身思考法を語り、メジャーで活躍するには、日々の練習、記録、休息をルーティン化することが重要だと強調しています。

また、「殻を破る思考法」として、身近な“夢を殺す人”(ドリームキラー)に惑わされず、自分自身の可能性を信じ続けたことが原点にあります。佐々木洋監督から中学1年生時に「将来エースになる」と言われ、それを信じて花巻東高校へ進学し、成長へと繋げていきました。

こうして積み上げた習慣と信念が、社会人・プロの世界へ挑戦し続ける原動力となり、プロ入団後も西武時代、MLBのポスティング移籍、自由契約を経て、最終的にエンゼルスへ。中学から控えだった選手が世界の舞台へ到達したのは、「続ける力」と「自分を諦めずに信じる力」があったからこそです。

子どもたちに伝えたい思いとして、「自分の可能性を閉ざすのは自分自身である」と語り、夢は“身近な存在が叶える姿”を見ることで、自分事に置き換えられ、可能性が広がると説いています。また、メジャー選手だけでなく「社会を担うリーダー」を育てる場所として、岩手に施設を開設した背景には、そうした価値観が反映されています。


菊池雄星の社会貢献

菊池雄星投手は、2024年11月に母校近くの岩手県花巻市に、屋内野球複合施設「King of the Hill(KOH)」を設立しました。最新トレーニング機器やブルペン、バッティングエリア、カフェラウンジ、休養スペースを備え、地域の子どもたちや高校球児に開放し、年間を通じた練習とふれあいの場を提供しています。

施設の設立に際しては、クラウドファンディングを通じて地域と共に構想を進め、自ら私財を投じて実現したものです。大谷翔平選手や佐々木朗希選手と並ぶ岩手出身の大物選手として、「岩手だからこそできる」と地元を強く意識し、環境面でも文化面でも子どもたちの夢を後押しする場を作ることを目指しています。

さらに、施設では単なる野球練習の場に留まらず、メジャーリーガーのサインや展示、カフェ交流スペースを設け、地域コミュニティの中心となる工夫がされています。また、自身がアメリカから子どもたちへオンラインで助言を続けるなど、継続的な関係づくりにも注力しています。

この取り組みは、「野球だけでなく社会を担うリーダー」を地元から育てたいという強い思いに基づいており、地元岩手、ひいては日本のスポーツ文化にとっても大きな貢献と評価されています。

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