来たるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本国内での放映権を、米動画配信大手Netflixが独占取得したというニュースは、多くの野球ファンに大きな衝撃を与えました。地上波テレビでの中継が消滅する可能性が浮上し、視聴環境やプラットフォームへの懸念から、インターネット上では不安や落胆の声が渦巻いていました。
そうした状況下で、突如舞い込んできたのが、ニッポン放送によるWBC中継の実施発表という「朗報」です。これにより、テレビ中継の確保が不透明になる中、ラジオという形で全試合(または主要試合)のライブ中継が保証されることとなりました。この一報は、瞬く間に野球ファンの間で反響を呼び、「来たぁぁ!」といった歓喜の声が上がりました。
ファンからは、「テレビ独占でどうなるかと思ったが、むしろラジオ中継のほうがありがたい」といった、好意的な意見が多数寄せられています。その背景には、ラジオ中継ならではの利便性があります。特に「ながら視聴」の需要が高く、家事や運転、仕事の合間など、テレビ画面を拘束されずに試合の臨場感を楽しむことができる点を評価する声が目立ちました。また、ニッポン放送のプロ野球中継「ショウアップナイター」に代表される、同局のベテラン実況・解説陣による臨場感あふれる放送を心待ちにする意見も多く、ラジオ中継が、単なる代替手段ではなく、野球観戦のスタイルの一つとして根強く支持されていることが再認識される形となりました。
ネット上の声5選
- Netflix独占でWBCの全試合視聴が危ぶまれていたため、ラジオ中継という選択肢が増えたことに心から感謝する声。
- テレビにかじりつかなくても、家事や通勤などの「ながら時間」に試合の経過を知ることができるラジオの利便性を再評価する意見。
- 動画配信サービスへの加入が不要になったことで、むしろ費用面での負担が減り、歓迎する層。
- ニッポン放送の実況や解説陣には定評があるため、臨場感のある声だけの世界で集中して観戦(聴取)したいという根強いラジオファンからの支持。
- Netflix独占という流れに対し、国民的イベントが視聴プラットフォームによって分断される懸念を指摘し、ラジオの公共性が救いになったという見方。
(※引用ではなく、Web上で目立った論調・感想をまとめたものです)
ニッポン放送の豆知識 5選
- 国内初の終夜放送のパイオニア ニッポン放送は、1959年10月9日の深夜(10日早朝)から、国内のラジオ局として初めて(駐留軍向けのFENを除く)終夜放送(オールナイト放送)を連日で実施しました。これは画期的な試みであり、月曜日の早朝のみ放送機材の補修のために休止する形が取られました。日本の深夜ラジオ文化の礎を築いた重要な歴史的出来事です。
- 深夜放送の金字塔『オールナイトニッポン』 1967年10月2日に、日本を代表する長寿深夜番組『オールナイトニッポン』の放送を開始しました。深夜放送の代名詞となり、数々の社会現象を巻き起こしたこの番組は、ニッポン放送のアイデンティティの一つです。第一声を発したのは、当時のニッポン放送のアナウンサーであった糸居五郎氏でした。
- 全国ラジオネットワーク(NRN)の創設 1965年5月3日、ニッポン放送は文化放送と共同で、全国の民放ラジオ局31社を結ぶ巨大なネットワーク「全国ラジオネットワーク(NRN)」を発足させました。これにより、全国的な番組の相互提供や共同制作が可能となり、日本のラジオ業界の発展に大きく貢献しました。
- 略称「LF」の由来 ニッポン放送の略称として現在も使われる「LF」は、かつて使用されていたコールサイン「JOLF」に由来しています。この略称は『オールナイトニッポン』が開始された1960年代頃に変更されましたが、現在では長野放送が「NBS」の略称を使用しているため、ニッポン放送は「LF」を主に使用しています。
- 異色の素人参加型番組 1962年9月9日からは、聴取者参加型の異色の公開30分番組『素人劇場 あなたもメイ』を放送していました。これは、リスナーが主役となるラジオ番組制作の早い段階での試みであり、放送を通じた聴取者との双方向性の追求は、後の人気番組の礎にもなっています。


